死別体験に伴う辛い症状  事例集

 

いくつかの事例をご紹介します。

 

ただし、下に紹介する事例はいくつかの事例を複合し、個人が特定されないように考慮した架空の事例であることをお断りします。

 

大切な人を失ったあとの辛い感情

 

事例1〜長い看護生活の後、夫を亡くされたAさん

 

Aさんは今年還暦を迎える女性。ひと月ほど前、3歳年上の夫を亡くした。がんだった。
3年前、がんとの診断を受け入院と退院を繰り返し、本人はよく頑張ったと思う。でもまだ、亡くなるには若すぎはしないか?これからの老後の生活を夫と一緒に穏やかに過ごしていけると思っていたのに・・・

 

葬儀が終わり、初七日が過ぎるあたりまでは夢中だった。親戚や弔問に訪れる方の対応に追われていた。
だが、弔問に来るかたの来訪が一段落し、諸々の手続きがひととおり終わったところで、悲しみがどっと押し寄せてきた。
ぽっかりと暗い穴に落ち込んでしまったような気がするのだ。

 

夜、ごはんを食べるときもひとり、テレビを見るときもひとり。

 

時として怒りがこみ上げてくることもある。

 

「なんで自分を置いて、一人で逝ってしまったのか?」
「自分を置いていくなんて、ひどいじゃないか!」

 

こんなことを思ってしまうのは、夫に対して申し訳ないと思う。
また、自分でも情けないとも思う。

 

「あなたがもっとしっかりと体調管理していれば、がんにはならなかったのよ!」などとひどいことを言う親戚もいた。療養中、見舞いにもこなかったくせに、何を勝手で検討違いなことをと思う。言われたときの口惜しさが、ありありと思いだされる。

 

でも、逆にこんな思いにもとらわれることもある。

 

「私がもっと食事に気をつけてあげていれば、がんにはならなかったのではないか?」
「私がもっと早く体調の異変に気付いていれば、がんを早期発見できたのに・・・」

 

夜、ひとりっきりの家で床につくと、様々な感情の波に翻弄されてしまう。
こんな辛さがいつまで続くんだろう。

 

複数の事例を複合した架空の事例です。

 

事例2〜長い介護生活を終わらせたCさん

 

Cさんは50代の男性。母親を早くに亡くしたCさんは父親と二人暮らしであった。だが父親が介護を必要とするようになったため、長く勤めていた会社を5年前に退職。アルバイトに従事しながら父親の介護を続けてきた。

 

親の世話ができるのは自分だけなのだ。幼かった自分をここまで育ててくれたのは父なのだ。それは十分わかっている。

 

でも、介護のために自分は離職することになってしまった。収入は激減し、自分も『生きがい』を失くしてしまった。なぜ自分がこんな思いをしなければならないのだろう。

 

介護はやはり辛く、投げ出してしまい。早くこの苦しみから抜け出したい。自分の人生を返してほしい。

 

「早く死んでほしい・・・」

 

正直そんなことを思うこともあった。

 

でもそんなことを考える自分が嫌で、許せないのだ。

 

最近、父が亡くなった。もちろん悲しかったし涙も出た。

 

しかし、正直ほっとしたのも事実だった。

 

葬儀がすみ生活も落ち着きを取り戻した。

 

でも、自分の中にしっくりしない気持はまだ残っている。

 

父が生きていたときの自分の『本音』のこと、亡くなったときに安堵する気持ちもあったこと

 

そしてそうしたネガティブな気持を人に隠し続けていること。

 

そんな自分は卑怯ではないのか

 

二つの事例の解説

 

大切な方が亡くなり、葬儀が終わって日常生活に戻るとき、悲しみやさみしさをあらためて強く感じてしまう・・・

 

「ポッカリと胸に穴があいたようだ」とおっしゃられる方もおられます。

 

また、「悲しみ」や「寂しさ」などのほか、「怒り」や「後悔」、「罪の意識」を感じてしまうこともよくあります。

 

亡くなった方に対しての怒り・・・

 

心ない言葉を投げかける親戚に対する怒り・・・

 

亡くなられた方に対しての罪の意識・・・

 

ネガティブな感情に捉われて前向きになれない自分自身を情けなく感じてしまう・・・

 

この時期、、いわゆる「ネガティブな感情」を感じることは自然なことです。

 

非常に多くの方がこの時期に感情の波にさらされ、さまざまな葛藤に悩まされます。

 

さまざまな感情には、実は意味があります。

 

「怒り」や「後悔」などの気持ちも「なかったこと」にすべきではありません。

 

「悲しみ」や「寂しさ」、「怒り」や「後悔」などの感情は具体的な言葉にして語られることで、沈静化していくことがあります。

 

安心して話せる誰かに、安心して話せる環境で自分の気持ちを表現してみましょう。

 

 

事故などで、大切な人を突然亡くしてしまったケース

 

 

事例3〜 息子を交通事故で亡くしたBさん。

 

Bさんは50代の主婦。3週間ほどまえ、交通事故で大学生の息子をうしなった。

 

あれは息子がなくなった日、息子は近所のスポーツクラブに出かけた。出かける前に、「帰りにスーパーで野菜を買ってきて」と声をかけたのだ。「うん、いいよ」と息子はニッコリほほえんで出かけたのだが、それが息子を見た最後の姿だった。

 

警察から事故の知らせを受けたとき、なにかの間違いだと思った。半信半疑で病院に行くと変わり果てた息子の姿があった。警察の話では、交差点を横断するときトラックにはねられたのだという。でも、その交差点は「息子が出かけたスポーツクラブからは離れている。なぜ?」と思ったところで思い出した。

 

息子は私に頼まれた野菜を買うために帰り道に遠回りしてスーパーに行き、その帰りに事故に巻き込まれたのだ。

 

「私が買い物など頼まなければ・・・私がスーパーに行くことを頼まなければ、遠回りしてあの事故を起こした交差点などに行くことはなかった」

 

葬儀にはたくさんの人が来てくれた。事故のことを聞かれたが、それが辛くてたまらない。もしも私が息子に買い物を頼んでいたことが皆に知れ渡ったら、きっと自分は指弾されてしまう。
本当は私が事故の原因を作ったのだ。でもそれは怖くて誰にも言えない。

 

息子が亡くなったあと、ほとんど眠っている気がしない。
夜、ふとんに入っても、十数回目が醒めてしまう。いつもドキドキ動悸がして、胸が苦しい。

 

もっと苦しいのは、フラッシュバックだ。
病院で見た息子の姿が突然に目の前に浮かんでくるのだ。

 

この苦しさを誰かに伝えたい。わかってほしい。

 

でも、自分は本当のことを言えない。言えばみんなに責められてしまう。
自分だけは知っている。息子の事故の原因を作ったのが自分なのだということを。

 

あの日いらいBさんは罪の意識に苦しんでいる。

 

複数の事例を組み合わせた、架空の事例です。

 

 

上の事例の解説

 

大切な方を事故などで突然に亡くされた場合、「罪悪感」を強烈に感じてしまうことがあります。

 

この事例では、「自分がスーパーに寄り道を頼んだから、事故に巻き込まれた」という罪の意識に苦しんでいます。

 

大切な方が亡くなられたときには、人は「なにが原因だったのかという『理由』」を求めます。「なにが原因だったかの理由」を、求めるとき、どうしても自分がかかわった出来事に理由を求めがちです。

 

この事例でいえば、寄り道をしたのは自分の買い物をしたくて寄り道をしたのかもしれないし、誰かと待ち合わせがあって、寄り道をしたのかもしれません。

 

ひとつの原因だけで、誰かが亡くなるということは、滅多にあることではないのです。

 

 

こうした罪悪感が苦しいときにも、その気持ちを言葉にしてみるとかなり楽になれることがあります。

 

言葉にして語ると感情が沈静化するということもあるのですが、もうひとつの効用として「事実の整理が進む」ということもあるのです。

 

「事故の責任は自分にある」という認識が、話をすることにより事実の整理が進み、「そのときの状況では、それは不可抗力だったのだ」とか「実は自分は、そのとき最適の判断をし、適切な行動をしたのだ」ということに気づくことができることがあります。

 

事例4〜部下の自殺後 過覚醒に苦しむBさん

 

Bさんは50代の管理職。親分肌で人情に厚い人物として知られてきた。

 

ある日部下のX君が自死で亡くなつてしまった。その日以来、心身の変調が始まった。

 

自分が現場の第一発見者だったのだが、ふいに、予兆もなく、仕事中も、家にいるときもX君が亡くなられたときの現場の光景が目の前に浮かぶのだ。

 

夜も眠れない。少し寝付いたな、と思ったらすぐに目が覚めてしまう。朝重たい体にむちをうって起床し、そのまま職場に向かう日々。

 

職場でも急に怒りっぽくなった。わずかなミスでも部下を怒鳴り倒してしまう。職場の雰囲気がギスギスしはじめ、なんとなく自分が避けられているのがわかる。

 

夜眠るとき、X君のことを考える。

 

指導が厳しすぎたのだろうか。彼のことは可愛かったし、期待もしていた。だからこそ職務上のミスは厳しく指摘し、妥協しないで指導してきたのだ。

 

でも彼が亡くなってしまった以上、言い訳などできないのだ。

 

もっと早く彼の苦しみに気づいてあげればよかったのだろうか?

 

そういえば亡くなる2週間前、なにか思いつめた顔で「相談があります」と言ってきたことがあったっけ。そのときは忙しくて「後にしてくれ」と言ってしまったな。

 

葬儀のときの、X君のご家族の姿が忘れられない。彼のお母さんは棺にすがりつき、号泣していた。

 

申し訳ない。自分がきちんと指導していれば・・・自分がもっと早く彼の苦しみに気づいていれば・・・

 

注 複数の事例を組み合わせた架空の事例です。

 

 

上の事例の解説

 

大切な方が自死で亡くなられた場合、心身の変調や「罪悪感」が非常に強烈に作用してくることがあります。

 

上の事例の場合、不眠、イライラ感、フラッシュバックなど、悲惨な事故を経験したあとによく見られる症状が出てきています。

 

こうした症状は通例、一か月すれば沈静化してきますが、「自然治癒する」という事実を知らないと「自分が壊れた」という思いに捕らわれてしまいます。

 

「自分が壊れた」という感覚は「大切な人を失った」というショックに加算され、二重の傷つきの体験となってしまいます。

 

こうした心身の不調が一か月以上続く場合医学的な治療の対象となります。必ず医療機関を受診してください。

 

また,自死の原因についてですが、遺された方はどうしても「自分とのやりとりの中に原因があるのではないか」と考えがちです。

 

しかし、実際には「自死で亡くなる方がひとつの原因で亡くなる」ということはほとんどありません。

 

また、自死で亡くなる方は、亡くなる前に努めて明るく振舞ったり、元気そうに見せたりすることが珍しくありません。

 

実際、自死の兆候は経験を積んだ医師やカウンセラーでもわからないことがほとんどなのです。

 

 

なお、大切な方を自死により亡くされた方は、自死遺族の方へのカウンセリングも併せてご覧ください。